最強の法則1999年1月号

第1回 「またガセか?」半信半疑の特捜班一行

特捜班・原稿担当の筆者が、木下健(31歳)と出会ってから4ケ月が経った。木下は、「馬券生活者」との触れ込みであった。あるライターが彼を紹介してくれたのだが、その際、「この人はホンモノだよ」としきりに言うので、まあそれじゃあ一度会ってみるか、となった。それが今年の7月10日(金)のことである。宝塚記念の前々日だ。このときは、正直に言うと、宝塚記念を現地で見るついでという感じだったことも否めない。

「馬券生活者」。うさん臭さと同時に、抗しがたい魅力がないまぜになっていて、馬券術の世界では一人歩きしているこの言葉。できればこんな手垢にまみれた言葉は使いたくない。というのも筆者は今まで、自薦、他薦も含めて、数多くの「馬券生活者」に会ってきた。しかし、ハッキリ言うと、その8割以上はガセだった。まあ、おいしい話は、そんなに簡単に転がっているものではない。

木下は、大阪府の南部に住んでいる。筆者を含む特捜班は、大阪の中心部から時間がかかることに不平をもらしながら、電車に1時間ほど揺られてたどりついた。こんなに遠いところまで来て、仕事にならなかったらイヤだったからだ。ところが、そこで衝撃的な事実を知ることになる。

木下は、正真正銘の「馬券生活者」だった。

金曜の午後2時だというのに、彼はまったく自然な感じで家にいて、われわれを迎え入れてくれた。彼の部屋には、グリーンチャンネル用とホームマスター(PATに使う機械の一種)用、2つのテレビが鎖座していた。そして初対面であるにもかかわらず、奥さん(30歳)と子供(2歳)を紹介してくれた。さらに驚いたことに、妻子の前で、堂々と馬券生活者であることを公言したのだ。

「馬券で儲けた金は、そのままカミさんに渡してます。PAT口座の通帳もカミさんが持ってますわ。ま、平日は競馬の研究、土日は馬券購入の毎日ですから、小遣いははとんどいらんのです。これといった趣味もないし、酒もそんなには飲まんし、かかるのはタバコ代ぐらいやしね」

馬券生活者というと、冷徹な勝負師、儲けたら派手に人に施すなどのイメージを想像しがちだが、彼はそういうイメージからはほど遠い印象だ。住宅街にあるこじんまりとしたマンションの一室で妻子と3人、ごく普通の家庭生活を送っている。そこが、筆者には新鮮だった。
普通の家庭と違うのは、主人がほとんど外出せず、ずっと家に寵っていることだけである。

「いやあ、近所の人たちには、あそこのご主人いったい何してはるのやろ、と噂されてるみたいですわ(笑)」

そう言った表情がまったく自然で、一点の曇りもない。馬券生活者であることを本誌で紹介してもいいかという問いにも、

「別にやましいことしてるつもりはないし、本当のことやから、構いませんよ」

これはホンモノだ。特投班は色めき立った。


木下氏の”オフィス”。
テレビは2台で、手前のでレース中継(グリーンチャンネル)、奥のでオッズの確認や馬券購入(もちろんPAT)を行う。そしてテーブルには、ノートパソコン(データベースソフト「TARGET」を使用。ここに仕様々なデータがつまっていて、必要に応じて呼び出せる)と丸秘出馬表。

競馬最強の法則 1999年1月号より

菊花賞当日の木下をドキュメント

その後、彼は少しずつ必勝法を公開してくれて、それは特捜班を大いに感嘆させ、驚かせ、唸らせたのだが、それについてはおいおい述べるとしよう。ともかく、特捜班は「これは当たりだ!」と感じ、帰りの電車では早速、彼の記事をどういう形で掲載するか論議を始めていた。

結論は、「これだけの大ネタだ。簡単に紹介するのではなく、じっくり取材していろんな検証をしでから、ドカンと始めよう」だった。

その後も電話取材を続けながら、特捜班だけでも度々打ち合わせを持ち、さらに10月5日(月)、大阪・道頓堀で2回目の取材を行なって、決定的なネタを入手。この1月号からの掲載を決めたのだった。

そして11月8日(日)、菊花賞当日の朝9時から、特捜班は木下邸で3回目の取材を行なつた。ここに掲載した写真は、その日のものである。

もちろん、取材目的は、「馬券生活者が買う馬券」を読者にレポートすることだ。いったい、どんな馬券をどんなふうに買えば儲かるのか?それこそを最も伝えたい。木下にはドカンと儲けてもらつて、呵々大笑の写真を公開できたらいいななどと特捜班は考えていた。

「今日は、負けるわけにはいきませんね」

前日の土曜日、25万円儲けたという木下は、自信もあるようだった。特に雑誌の取材だからと気負う風もなく、ひょうひょうとしている。これは期待できるのではないか、と筆者は思った。

グリーンチャンネルで、まず福島1Rが始まった。しかし、木下は別に興味がなさそうで、しきりに別のレースを検討している。全競馬場36レースをターゲットとする木下だが、どうやら、福島1Rは「ケン」らしい。なぜかと聞くと、

「頭は1番で回そうやけど、内枠引いて鉄板でもないし、相手がマギレそうですから」

そう言われた筆者は、そうかなあと半信半疑で馬逮1-2(馬連1番人気)を自分のモパイルPATで買った。ところが、なるほど、終わってみると1番は逃げ切ったが、2番は馬群に沈み(8着)、8番人気馬が2着に突っ込んで、馬達は2910円の中穴。

木下が最初の勝負レースにしたのは、京都1Rである。熟考の末、4番オースミリンド(2番人気)の複勝を3万、PATで投票。と思ったら、これが締切で無効になってしまう。

「あ-、これは痛いわ」

頭を抱える木下。オースミリンドは、直線よく伸びてキッチリ3着確保。結果、複勝は120円とあまりつかなかったが、出ばなをくじかれたショックは大きいようだ。

その後、午前中に木下が買ったレースは福島の3Rと4R。どちらも穴馬から入った馬連だが、キッチリ、タテ目の1番人気で決まってしまう。

「3Rは仕方がないとして、4Rは狙いすぎました。軸にしたセイカニケは、走るときにしっぼがピンと立っている馬で、こういう馬は追っかけるといつか穴出すんです。それで前走、万馬券(11番人気2着で1万5870円)獲らしてもらっとったから、欲かいてもうた」

危ない。どうも、カが入っているようだ。

書斎はさながら”馬券研究室状態。
ウィークデイはここで前週のレースのチェックや新たなる必勝法を研究するという。

競馬最強の法則 1999年1月号より

ヤバい!
本当に儲かるのか?

奥さんに出してもらった昼食をご馳走になって、ゲン直しして午後のレースヘ。福島7R、福島8Rと福島を集中攻撃だ。これはなぜか。

「今の福島の馬場は非常に特殊で、差しが決まりやすくて、先行した馬が出したタイムのほうが価値があるんですわ。恐らく、今日も差し馬がよく来るでしょうけど、前走差しで好走して人気になってる馬は危ない。むしろ、前走先行してバテた馬が差しに回ったときが怖い」

なるほど、うなずける。しかし、馬券はきわどいところで外れてしまう。木下のマル秘能力表(次号公開)を見せてもらうが、やはり、ちょっと狙い過ぎではないかと思える。我々がいると、いつもと勝手が違うようだ。

続く東京8Rを外すと、突然、買い方が大きくなった。それまで1レース1~1万5000円ぐらいの投資だったが、いきなり福島9Rは2万5000円投入。これも2着3着に終わると、アツくなったのを鎖めるように、福島10Rはケンした。

結果は、やはりこれもウラ日。いつかは走るという意味を示す木下のチェ
ック「※」がついた馬(次号参照)が勝って、馬連2260円。

「まあ、こんなもんですわ」

力なく笑う木下。これはヤバい。

丸秘出馬表の束。これについては次号以降、徐々に明らかにしていく。

競馬最強の法則 1999年1月号より

続く京都の清水Sで、狙ったホーセンホーライが度重なる不利を受けて4着。投資額2万円のうち1万3000円持っていた馬連3-8(5.4倍)が1着4着になってしまうに至っては、恐らく筆者でも平静を保つのは難しい状態となる。

その後、ブラジルCで5.6倍を8500円的中(2万円投資)させたが、菊花質でトドメをくらう。エモシオン、セイウンスカイ、スペシャルウィーク、カネトシガバナーのボックスで堅いと戦前から公言していたが、このボックスのうち最も低配当のセイウンスカイ=スペシャルウイークの組合せだけ切って5点買い(計3万6000円投資)にしてしまった。

「来る可能性は高いけど、この馬連を入れると回収率が大幅に下がるんですわ」

結果はご存知の通り。セイウンスカイ=エモシオン(38.5倍)の組合せは5000円持っており、これが来たら大逆転で今日の収支はプラスだったが、無情にも1着3着。しかも、唯一切った組合せで決まる。

福島と東京の最終も外し、この日の収支はマイナス22万円なり。惨敗である。

「馬券生活者っていったって、こんなに負ける日もあるのか」

筆者は思った。非情ではあるが、そのままこの感想を述べると、木下は言った。

「ええ、今日はええとこ見せられませんでしたけど(苦笑)、たまにこういう日もあります。1、2ケ月に1回ぐらいですか。前半で負けが込んで、アツくなって耽り返そう思て張り込んで、失敗するパターンですわ。いやあ、参りました」

やはり取材ということで、鮮やかな馬券を出そうとスタンドプレーに走ったか。これにより、日頃のスタンスから少し逸脱してしまったらしい。加えて前日勝っていたので、普段より多めに馬券を購入したという気のゆるみもあったようだ。

だが、やっぱり負けは負けである。前日の25万の勝ちがあるから、週単位ではプラス。でも、それは言い訳にならない。特捜班は、果たしてこの結果を本誌に掲載すべきかどうか迷った。なにしろ連載1回目であり、連載自体の人気を左右する問題だからだ。勝つ事の方が多いわけだから、他の日のルポにすればいいだけのこと。事実、翌週、彼は14万円の利益を挙げている。

だが、それではいかんという結論に達した。ありのままをそのまま書くのが、自然体で儲ける男・木下健の馬券術であると考え、そのまま掲載することにした。馬券生活者でも負ける日があるという当たり前の事実を、再認識した。

子どものおもちゃがあふれる部屋。愛娘は2歳。
「できればぜひ一緒に写真を」との特捜班のあつかましい申し出にも、全然構わないんですけど今日はお客さんが
来るから実家に預けちゃって…」と。

競馬最強の法則 1999年1月号より

2年半で2000万
稼ぎ出した方法とは

さて、では、木下健の馬券生活者としての顔を紹介しておこう。

彼は、2年前の96年4月、それまで勤めていた電気工事閑係の会社を辞め、馬券生活者となった。理由はひとつ。勤めたままでは、競馬の研究をする時間がないからである。それほどまでに、彼の理論の完成には膨大な時間が必要だった。その理論については、次号以降おいおい述べていく。

以後、2年半で彼が叩き出した馬券収入は、約2000万円。年収800万円のペースだ。実際には、1年目1000万円、2年目800万円、3年目の今年が半期を終えて約200万円と、年を追うごとにペースが落ちている。この理由はとたずねると、

「1年目は、かなり強引な買い方してました。ウインズに行って、1日50万とか60万円勝負しとった。これ、勝つときはでかいんやけど、負けるときもでかいんですわ。最近は、そこまで無謀な勝負はせえへん。PATに当選したのもあるけど、1日10万ぐらいが普通です。1日のノルマを5~7万のプラスに決めたから、そんだけ勝ったらやめてまうしね。今日(8日)は、熱くなって負けてもうたけど」

なるはど。確実にプラスを叩き出す。それが、彼の馬券生活者としてのパターンになってきでいるようだ。参考までに、今年上半期の彼の馬券収支を記しておこう。

3月+64万3100円
4月+32万700円
5月+60方2100円
6月+46万5500円
7月-11万8000円
8月-4万7400円
9月+60万3800円
10月+11万9500円

「月40万ペースぐらいが理想です。でも、なかなかコンスタントに揃わへん。今年は、夏場にちょっとでも負けたのが痛かったですね。あれがなかったら、500万は楽勝やったんやけど、現状ではちょっと足りません。頑張らなあかんけど、まあ焦っても仕方ないし」

筆者などは、これだけ勝っているというだけで単純にすごいと思ってしまうが、競馬を仕事としでいる木下には、これでは不満なのであろう。まあ、妻子を養う一人の男の仕事として考えれば、当然のことではある。

仕事中。もちろん遊びやレジャーの雰囲気はないが、かといって真剣勝負というほどの力みもなく、意外に淡々とした印象。あくまでビジネスということなのか。

競馬最強の法則 1999年1月号より

次号、ついにその全貌が
明きらかになる

さて、では最後に、木下健の馬券術についでだが、誌面も残り少ない。基本的には来月号で披露することになる。ここでは、サワリだけ記しておく。

まず、彼の馬券術の核は、「デジタル」と「アナログ」の融合にある。デジタル、それはタイムを基本とした「指数」である。

サラリ-マン時代、木下は必勝法を求めて、さまざまな書籍を読みふけった。そして、理論的に納得がいくと思った必勝法は、すべて試してみた。パドックこそ命と考え、雨の日も風の日も、毎週土日にパドックをずっと見続けていたこともある。しかし、どうしてもパドックでは馬の能力がわからないという結論に達した。著名な予想家の予想や、資金配分法、出目、オッズ、サイン読みの類いなども試した。しかし、どれもしっくりとは来なかった。彼の必勝法の理想は「自動的に儲けることができる方法」。そこへの到達は、かなり険しい道だった。

そして、何年かの試行錯誤の後、彼がたどり着いたのが、あるタイム系の理論だった。この理論を擁して、彼はかなりの回収率を上げられるようになる。

馬の能力の根本は、やはり「タイム」だ。タイムをきちんと分析することが、まず第一である。彼は、それを身をもって思い知った。しかし、木下は、ここで馬券術の追求をやめようとはしなかった。そこが彼を一回り大きくした理由だ。デジタルであるタイム理論で、かなりの成果を挙げることはできる。ただし、それだけでは「馬券で食う」ことができなかった。

競馬はタイムだけじやない。何か、大きな別の要素があるはずだ。そこに突き当たった彼は、月曜にグリーンチャンネルで放映される「先週のレースリプレイ」(全競馬場2日分72レース)を録画し、火曜から木曜まで、1レース1レース、テープが擦り切れそうになるまで、繰り返し見はじめた。そして半年後、その「レース」の見方においで、まったく新しい理論を発見し、これを確立させてしまった。

デジタルに対し、「アナログ」ともいうべきこの理論こそ、木下式必勝法の核に当たるものである。

「相馬」ならぬ「走馬」ともいうべきこのアナログ理論は、デジタルである「指数」と相まって、彼を馬券生活者へと導いた。(以下次号)

特捜班「失礼とは思いますがこんな生活不安じゃないですか?」

夫人「よく聞かれますけど、こういう人やし、競馬のほかに何するわけでもないんで。ともかく一生懸命やってると思いますし」

特捜班「……」

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